会社案内

社長飯田滋のプロフィール

代表取締役 飯田滋 のプロフィール


20090903124234_1.jpg
















大阪の 堺市 で生まれました。小学生6年で 寝屋川東小学校 に転居しました。
以後、結婚まで20年間、寝屋川市 に住みました。

寝屋川第1中学校 に入学し、枚方市大阪市立高校 に桜がキレイだったので
入学しました。しかし1年で腎臓病のため、運動できず、みんなは万博で楽しそうなとき、
ボクだけはすこし淋しい時代でした。

大学入試に失敗し、浪人生活になりました。またすぐ友人と遊んでしまう性格をさとり、
友人がいない 京都の予備校 関西文理学院 に通い、大学をめざしました。

しかし、予備校の夏合宿に参加し、すぐに新しい友人ができました(笑い)
有名な進学高校出身者たちの個性的な同学年生にショックを受けました。
その友人たちとはいまだにビールを飲むなかです。

そして なんと 関西学院大学 に入学できました。
当時のテレビドラマの「青春とはなんだ」にあこがれ、大学1年の夏に、
ラグビーに目覚めました。上ヶ原ラグビークラブに入部。ウイングを希望しましたが、
無視押され、スクラム専門のプロップに(笑い)。

ラグビーの仲間とは、いまだに頻繁にあい、その後、ひょんなことからOB会をつくることとなり、
ウチの事務所がOBOG会の事務局になっています。

私は1978年 オイル・ショックのとき、太陽テント に入社しました。
万博のパビリオンや、東京ドーム の屋根を作ったことで有名な会社です。
キビシイ会社でしたが、ユニークで活気のある会社でした。

私は イベント・建築の営業でした。主に国体などのロイヤル会場建築、
瀬戸大橋や明石大橋の開通式、 広島アジア大会、博覧会、宗教の
大型イベントの会場建築を行ないました。

1988年の 瀬戸大橋開通式 は強烈な記憶です。携帯電話の無い時代に 
同時に5ケ所のイベントは本当にハードでした。
終わったとたん、涙がでてきました。
今から思えば、楽しい時代でした。

結婚して 枚方市 に住居が変わりました。子供もできました。
子供が知的障害児であり、てんかんの発作のため、
入退院をくりかえしていました。

そのため、大阪市内の会社では難しいと感じ、
地元 枚方 に根づいた生活状況が必須と感じ、
2002年、やむなく太陽テント を退社しました。

2005年 地元の 枚方市御殿山町 で 永年の建築の経験を生かし、
リフォーム専門会社 の【 サポートガード有限会社 】を設立しました。

創業当時は わからないことばかりで、不安の日々でしたが、
明るい未来を信じていました。年を重ねるたびに お客様の数も増え、
信頼の手ごたえも感じるようになってきました。

今、私は まわりのいろいろな方の応援を受け、
「枚方ローズライオンズクラブ」はじめ、多数の交流会、勉強会で、
多くの素晴しい先輩・友人に恵まれています。

特に ビジネスの心構え,気づき を学部毎日です。神社参拝を日課にして、
夢を追いかける毎日です。

「サポートガードに任せておけば安心できるね」といっていただけるように、
地域に密着した建築のプロとして、
みなさまの信頼にお応えできるよう努力してまいります。

少しでも 多くの「幸せリフォーム」を創るために。

【常に感謝】